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  働かなくてもいい社会を  実現するには?

人間が仕事をしなくても社会がまわる現実的なしくみについて書いていきます。

定常経済のお手本「鎖国」

 

 

そもそも「定常経済」とは何だろうか?

 

定常経済とは「経済成長を目標にしない経済」、

 

つまり「経済活動が繰り広げられているはものの、

 

その規模自体は拡大していかない経済」のこと。

 

 

 

 

また

 

「人口と資本が一定で、資源を地球の扶養範囲内に抑えて維持する」

 

ことでもある。

 

 

ハーマン・デイリーの3条件(幸せ社会研究所より引用)

 

 

1.「再生可能な資源」の持続可能な消費速度は、

 

その資源の再生速度を超えてはならない。

 

 

再生速度>消費速度ということ。作れる以上に消費しない。

 

例:魚を獲る速度は残りの魚が繁殖して数が増える速度を超えてはならない。

 

 

 

 

 

2.「再生不可能な資源」の持続可能な消費速度は、

 

再生可能な資源の持続可能なペースで消費することで

 

代用できる速度を超えてはならない。

 

 

 

石油を持続可能なペースで利用するためには、

 

石油使用による利益の一部を他の再生可能エネルギー

 

(太陽光発電風力発電、植林)に投資し続け、

 

たとえ石油の埋蔵資源を使い果たして枯渇させたとしても、

 

同じ量の再生可能エネルギーを使用できるようにする必要がある。

 

 

 

 

 

3.「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、

 

吸収し、無害化できる速度を上回ってはならない。

 

 

生ゴミや排泄物などの汚染物質を土の中で分解してくれる微生物。

 

この微生物が分解できる量を超えて汚染物質を排出してはならない。

 

というか地球が吸収できない汚染物質を日常で使用するべきではない。

 

 

 

 

ここで江戸時代の「鎖国」についてふりかえってみる。

 

学校で習うと、

 

鎖国とは、江戸幕府が日本人の海外渡航を禁止し、

 

外交・貿易を制限した対外政策である」

 

という説明だ。

 

当然、鎖国では出入国が禁止されているから、当然輸入量もほぼゼロである。

 

エネルギーや食料を外国からの輸入に大きく依存している現在の日本からは

 

想像できないような話だが。

 

 

 

輸入してないというか輸入できないので、

 

すべて国内のエネルギーや資源で賄っていた。

  

つまり、「鎖国」とは自給自足の裏返しであり、

 

外国からの輸入に頼らない徹底した自給システムである。

 

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 さらに、鎖国下の江戸時代には、先に述べた定常経済の条件のひとつ、

 

汚染物質を地球が吸収できる範囲に抑える循環型社会を実現していた。

 

1.江戸の衛生的な循環システム

 

排泄物や生ゴミといった有機物が肥料として土に還り、

 

都市に残ることが無かったので、伝染病が比較的少なかった。

 

一方同じ時代近世ヨーロッパでは、こうした排泄物の処理が

 

うまくできなかったため、コレラやペストといった伝染病が猛威をふるった。

 

 

 

2.ゴミの適正処理システム

 

幕府が公認した請負人が廃棄物を収集、運搬して、

 

最終処分場まで運んで処分するシステムがあげられる。

 

ちなみに処分場で燃やして出た灰も資源として再利用されていた。

 

 

 

 

 

 

また、江戸時代の日本の総人口はほぼ3000万人で、ほとんど変動がなく、

 

2世紀半もの間は人口が安定していた。

 

江戸時代の経済成長率は年率0.4%程度、当時の寿命を考えれば、

 

一人の人生の間に「経済が大きくなった」とは実感できない、

 

いわば「定常経済」だった。

 

その江戸時代の日本は、「足るを知る」といった価値観を大切にし、

 

拡大を続けない経済の中で、自国にある資源を循環させ再利用しながら、

 

社会を成り立たせていた「持続可能な循環型社会」というモデルの

 

手本になっている。

 

 

 

 

 

鎖国=自給自足と書いた。

 

いくらお金を持っていても、生産者が売ってくれなければ意味がない。

 

例えば日本が食料輸入している国で食料危機などが起こり、

 

突然日本へ輸出してくれなくなるかもしれない。

 

 

 

 

 

また、経済破綻などでお金が紙切れになったとき、

 

お金自体を食べることはできない。山羊じゃないんだから。

 

「買う」という行為は食料やエネルギーの生産を

 

他国(他人)に依存しているということ。

 

生きるのに必要なのは、「お金」ではなく、

 

「食料、水、空気」であり、「自然環境や生存環境」である。

 

 

 

 

物流と自給自足は面白い関係になっている。

 

あなたにはamazonとかインターネットで何かを買うときを思い出してほしい。

 

ここからは便宜上「商品」として記す。

 

 

①「商品を買う」かつ「エネルギー輸入」

 

amazonで買った商品をトラックがあなたの家まで運んでくれる。

 

商品を生産者が作らなくなったり、石油危機などで

 

トラックの燃料であるガソリンがなくなると、運ぶことができなくなり

 

商品を手に入れることが不可能になる。

 

 

②「商品を買う」かつ「エネルギー自給」

 

①と一行目は同じだが、トラックなどの燃料が自給できれば、

 

運ぶことに関して問題が起きないため、生産者が商品を作り続けている限り

 

商品を手に入れることができる。

 

 

③「商品を自給する」かつ「エネルギー輸入」

 

商品を自給できれば、そもそも物流が必要ないのだが、

 

商品を作るのにエネルギー(電気)が必要であるならば、

 

その電気を生むエネルギーの輸入が止まってしまえば、

 

自給することもできない。

 

④「商品を自給する」かつ「エネルギー自給」

 

商品を作るエネルギーも自給で安定しているので、商品を自給できる。

 

 

 

 

 

 本当の安心が欲しければ、生きるのに必要なものを自給自足で

 

得られるようにするほうがいいのかもしれない。

 

 

自給自足とは外的環境に経済を拡大しなくても 、

 

社会を成り立たすことができる社会システムである。

 

 

 ペリーが通商を求めてやってきたときに応対した林大学頭は

 

「我が国には何でもある。したがって何もいらないので帰ってください」

 

と応えたという。

 

日本は「鎖国」 していたわけではない、

 

海外にあえて出ていく必要が無かっただけだ。