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  働かなくてもいい社会を  実現するには?

人間が仕事をしなくても社会がまわる現実的なしくみについて書いていきます。

無料なうえに進化していく教育

限界費用ゼロ社会 脱所有 教育 無料

 

これまで、エネルギー(電気)、3Dプリンター(製造)が無料になっていくことをまとめたけど、この限界費用ゼロ革命は

教育分野にも大きな変革を及ぼしはじめている。

 

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限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

 

 

限界費用ゼロ社会」より引用

 

 限界費用ゼロ社会とは、希少性が贅沢さにとって変わられた社会であり、

私たちが慣れ親しんだ社会とはまったくちがう。

協働型コモンズが主役で資本主義市場は端役でしかなくなる時代に対応できる

人材を育てるために、私たちは教育の過程そのものを再考せざる得なくなっている。

 

資本主義の時代には、学生が熟練した産業労働者になるための教育モデルが

崇められていた。教室はミニチュアの工場と化した。

生徒は機械と同等のものと見なされ、命令に従い、反復によって学び、効率よく行動するように仕込まれた。

 

教員は工場の現場監督のようなもので、決まった時間内に決まった答えを出すことを求める、標準化された課題を出した。

教育の目標は生産性の高い従業員の養成だった。

教員が権威を振りかざすトップダウン式指導であり、教員の権威に疑問を

持つのは厳禁で、学生間で情報やアイデアをシェアすると、

「不正行為」というレッテルを貼られる。

 

子供は、知識は力であり、また競争が激しい市場で卒業時に他者よりも優位に

たつために習得する貴重な資産であることをたちまち学ぶ。

知識は、従来型の教室では客観的な個々の独立した事実として扱われていた。

資本主義の環境では、学習を個人的な経験とする考え方や、知識とは独占的な

所有物の一つの形として扱われるべき獲得物である。

 

 

 

 

 協働の時代には、学生は、知識とは仲間たちから成るコミュニティで

シェアされる経験と考えられるようになる。

彼らは知識がシェアされるコミュニティで仲間として一緒に学ぶ。

教員は講義する人間ではなく、世話役、ガイド役を務め、

研究テーマを設定して、学生を少人数のグループに分けて作業させる。

 

知識は、協働型の教室では、私たちが自らの経験に加える集合的な意味と

見なされる。

複数の分野にまたがる学習や多くの文化に関わる学習によって、

学生は異なる観点を受け入れられるようになり、

さまざまな現象の相乗効果を探し出すことがうまくなる。

学習は、クラウドソーシングの過程と見なされ、

知識は誰もが利用できて公的にシェアされるものとして扱われる。

 

 

 新たな協働型の教え方は、従来の囲いこまれた閉鎖的な教室という

私的な空間から学生を解放し、複数の開かれたコモンズ、すなわち、

バーチャルスペース、公共の場、生物圏で学ぶことを可能にする。

世界各地の教室が、Skypeなどの手段によって同時につながり、

学生たちはグループ課題に協働して取り組んでいる。

 

遠く離れた学生同士がバーチャルなチームを組んで、共に勉強し、

プレゼンテーションを行い、議論し、ひとまとめに評価を受けさえする。

グローバルな協働型の教室は瞬く間に現実になりつつある。

 

無料のインターネットコミュニティ、

「スカイプ・イン・ザ・クラスルーム」

 


Skype in the Classroom brings together classes in ...

 

「コラボレーティブ・クラスルームズ 」

  


SMART Collaborative Classroom: Providence ...

 

 (引用終わり)

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「スカイプ・トランスレーター」で英語とスペイン語をやりとりする動画

 


Skype Translator preview opens the classroom to ...

 

こういう通訳してくれるアプリやソフトウェアがあるだけで、

どれだけ世界が広がることだろう。

「私は英語できないから」という壁は崩れ去る。

 

引用文でも書いてあるように、

知識を個人の所有物とするのではなく、

集合知にアクセスできる仕組みをつくる方がいいと私は思う。

 

例えば、Google翻訳みたいな集合知の精度が上がっていき、

通訳と同じくらいのレベルになったとする。

通訳に頼ることは、その通訳が所有する知識に頼っていることであり、

当然ながら通訳の頭の中は覗けない。

 

何がいいたいかというと、所有する知識は閉鎖的で、

他人がアクセスすることができないということ。

これに対して集合知であれば、どんな人でもその知識にアクセスして

使用することができる。

 

た、人数的にも無理がある。通訳できる人は限られるのに、

みんなが通訳を必要としたらどうするんだろう?

極端な話、日本人が全員同時に、「そうだ、外国行こう」みたいな感じで

通訳を必要としても、当然通訳の人数は限られているわけで、

要望に応えられないことが予想される。

その点、ソフトウェアやアプリであれば、パソコンやスマホが使えれば、

誰でもその場で使える。 人数制限もない。

 

「グーグル・グラス」 による通訳(アラビア語、英語、フランス語)

 

 


Real time speech translation for Google Glass ...

 

 こういった通訳アプリを使うことで、今まで言語の通じなかった相手

とコミュニケーションできたり、相手の考えをより深く理解できるようになる。

言語の壁がなくなるとどうなるんだろう?

外国に行ってるはずなのに、日本人は相変わらず日本語で意思疎通する感じか。

 

ここまでは、資本主義から協働型コモンズに変化する中で、

先生の役割が権威からガイド役に変わり、

知識が閉鎖的なものから開かれたものへと変わり、

国境、言語の壁さえも越えはじめているという例を紹介した。

次は限界費用ゼロが教育にもたらした変化を引用する。

 

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(再度引用)

 

教育は、道路や公共交通機関、郵便事業、医療と同じく、

先進工業国では依然としておおむね公の領域にあり、

政府が管理する公共財として扱われてきた。

ところが、高等教育の費用がうなぎのぼりで、何百万という学生が

四年間の学費を次第に払えなくなるという危機が発生している。

(略)

知識はこうして大学の内部に囲い込まれ、高い入学費用によって

富裕層以外ははねつけられてきた。

だが、状況は変わろうとしている。

インターネット革命は、かつては崩壊しそうにないと思われていた

囲い込みの壁をあらゆる社会領域で崩壊させはじめ、

学究コミュニティでも猛威をふるっている。

 どこであれ隙あらばつけこんで限界費用をゼロに近づけようとする多面的なテクノロジー革命の情け容赦のない論理によって火がついたのだ。

 

この革命の発端は、大学教授だったスランがオンラインで提供した、人工知能についての「無料」講座だ。

授業に登録する人数は普段200人ほどだから、無料講座の登録者は数千人程度だろうと予想していた。

ところがいざ開講すると、なんと世界のすべての国の合計16万人が、パソコンの前に座った。こうして史上最大の教室が誕生した。

 

スランはわずか一度のバーチャルな講座で、人生を何度繰り返さない限り不可能な

人数に教えることができると知って胸躍らせたが、同時に皮肉な思いにも襲われた。

大学の学生はこの講座を受けるのに、年間500万以上払っているのに、

世界各地の希望者全員に自分のバーチャル講座を受講可能にするコストはほぼゼロ

なのだ。これを皮切りに、オンライン教育が続々と登場し始めた。

大学は無数の学生に講座を無料公開し、それらの学生のごく一部をキャンパスに

囲い込んで利益を得ることを願っている。

 

これはすべて、高等教育の経済が崩壊し、限界費用を中心に再構築される世界の方向を指している。

オンライン教育に登録する10万人目の学生に教育を提供するコストは基本的にゼロであり、したがって受講料もゼロだ。

オープンソースの教科書など無料のオンラインリソースが、補助教材の価格も

ゼロに押し下げる。

 

現在、大学は、世界で一流のオンライン講座を開講すれば、

収入を生み出す従来の教育に学生が集まるという希望にしがみついてる。

彼らはまだきづいていないのだが、じつは彼ら自身が創造しつつあるグローバルな

バーチャル・コモンズ(オンラインにおける国境を越えた学生の集まり)では、

教育の限界費用はほぼゼロであり、今後はこれが次第に高等教育の新しい

学習パラダイムになり、現実の教室での学習は、いずれごく小さい補助的な役割しか

果たさなくなるだろう。

 

それならなぜ、これほど多くの大学が必死でオンライン講座の開講計画を進めようと

しているのか?

第一に、すべての人間に世界中の知識を授けることは教育者の長年の夢だった。

その手段が得られた以上、多くの学者にしてみれば、そうしないのは倫理にもとる

ことになる。 

第二に、自分たちが限界費用ゼロを受け入れなければ、他の大学がどっと参入する

のを承知しているからだ。

 

新しいテクノロジーによって限界費用がゼロの社会とほぼ無料の商品とサービスが

可能になりつつある、他の多くの部門で同じ立場にある者たちと同様、

彼らも悟ったのだ。

ネットワーク化された協働型コモンズで人類の幸福を最大にするという

論理の説得力があまりに強いために、それを締め出したり、それに背を向けたり

することは不可能だ、と。

 

(引用)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

TED、まなびー、iBooksAuthorなどオンラインには無料の教材が

たくさん出現し始めている。

クリス・アンダーソンは著書「フリー」で、

 

「どうして大学の授業がタダになるのか?」

「どうして講演会(TED)をオンラインでタダで配信しても、

高額なチケットが売れるのか?

「どうして教科書がタダになるのか?」

 

というコラムを書いていた。

 

共通していたのは、講義を受けることだけが教育ではないということ。

先生に質問したり、学生同士で学び合う環境を得ることに価値を置き、

有料のサービスが売れるというわけだ。

だいたいこの記事でも書いたように、無料は有料の顧客を引き寄せる餌

みたいなもの。

 

ところが、ジェレミー・リフキンは、

無料の教育が主流になっていくと、従来の教育は縮小していくと主張している。

 

つまり

無料を与えて他の有料で稼ぐというのがアンダーソンなら

無料を与えるとみんなが無料に来て無料が主流となり、有料がなくなる

というのがリフキンである。

 

TEDのチケットみたいに会場の廊下で立ち話とかは無理だけど、

学生同士で学びあう環境とかは無料で作れる。

先生に質問するのもツイッターとか使えばいけるのでは?

インターネットの双方向性を活かせば、教員と生徒が横の関係になったり、

生徒同士が議論したりするのも容易だと私は思う。