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  働かなくてもいい社会を  実現するには?

人間が仕事をしなくても社会がまわる現実的なしくみについて書いていきます。

コミュニケーション・コモンズ

 

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限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭

 

 

(限界費用ゼロ社会より引用)

 

新しいコモンズのインフラのうち、

まずはコミュニケーション・インターネットから見てゆこう。

 

このインターネットは、政府と民間部門と市民団体(=非営利組織)という

3つの利害関係者が形成するハイブリッド・インフラだ。 (略)

三者協働の合意形成を行うと合意ができると、国際連合で組織が成立された。

 

(略)

 

だが、国際連合は結局各国政府の代表機関であるため、

政府は国内法を制定して、そのうちにはインターネットという媒体の本質的特徴、

すなわち開かれていて万人が共用でき、

透明性が高いという性質を脅かすものもある。

 

(略)

 

民間部門もまた三者協力体制から逸脱し始め、増益を図っている。

これはインターネットの基本理念の1つ、

あらゆる参加者が平等にアクセス・一体化できるような、

非差別的で開かれた万人のためのコミュニケーション・コモンズを保障する原則、

「ネットワークの中立性」を損なう恐れのある動きだ。

 

 

 ネットワークの中立性の概念は、ネットワークのプロバイダーではなく、

ユーザーに有利に働く。

だがネットワーク・プロバイダーは今、従来のやり方を変えることで、

特定の情報へのアクセスに別料金を課したり、アプリ料金をとったり、

情報を制御する権利を確保して商業的な利益を得ようとしている。

 

 

これに対してネットワークが中立性を保っていれば、

何百万というユーザーが独自のアプリを開発することにより、

協働してイノベーションを行えるからだ。

この種の「分散型インテリジェンス」こそが、インターネットをかくも

独特なコミュニケーション媒体にしている。

 

ネットワーク・プロバイダーが、コンテンツへのアクセスやその配信方法について

中央集中型の制御を行えるようになろうものなら、ユーザーは無力化され、

分散型の協働や水平展開型のインテリジェンスがもたらす創造性が損なわれる。

 

(略)

 

ネットワークの中立性をめぐる争いは、2つのパラダイムどうしの闘いで、

大手電気通信会社は、新たなコミュニケーション媒体を牛耳って、

中央集中化した指揮・統制を押し付けることを望んでいるのに対し、

ユーザーは、インターネットを開かれたコモンズに保ち、

ネットワーク上の協働と限界費用がゼロや無料のサービスの実現を推進する、

新しいアプリを見つけようとしている。

 

 

政府は資本主義モデルを貫く通信会社と

コモンズ・モデルを信奉するユーザーという二人の主人に使えようとして、

板挟みになっているようだ。(略)

だが、インターネットを囲いこもうとするのは、外から強引に割り込みつつある

電気通信やケーブル関連の悪徳企業だけではなく、内部からも発生している。

 

よく知られているソーシャルメディア・サイトのいくつかが、

この新しいコミュニケーション媒体を囲い込み、営利目的で利用し、

電気通信やケーブル関連の悪徳企業をはるかにしのぐ可能性を秘めている。

 

 

 

ウェブでは、誰もがいつでもどこでも、許可を求めたり使用料を支払う必要なく、

他の誰とでもシェアでき、万人が例外なくアクセスでき、

開かれた分散型のものとしてデザインされている。

 

ところが残念ながら、GoogleFacebookTwitterといったアプリは、

参加者のビッグデータから入手した情報を営利目的の企業に売る、

つまり、コモンズを商売に利用しているのだ。

 

 

インターネットは共有財だが、

wikipediaLINUXはコモンズとして非営利団体によるのに対して、

GoogleFacebook営利企業によるものとして混在している。

 

 (略)

 

このインターネットの最新型の商業利用は、バーチャルスペースに

独占企業を生み出そうとしているのではないか?

そうした独占企業は、中央集中で専有的である点に関しては、

自ら追い払おうとしている第二次産業革命型の企業に

少しも劣らないのではないか?

 

(略)

 

今日インターネット上の主要部門のほとんどは、

一社の有力企業あるいは少数の寡占企業によって支配されている。

Googleは検索部門を、Facebookソーシャルメディア部門を、

イーベイはオークション部門を、アップルはコンテンツのオンライン配信を、

Amazonは小売部門を手中に収めている。

 

Googleなしで一週間過ごすのは、どれだけ大変だろう?

いや、ハードルを上げて、FacebookAmazonSkypeTwitter

AppleeBayGoogleがなければどうだろう?」

 

 (略)

 

通信産業のアナリストや反トラスト法専門の弁護士、

フリーカルチャー運動の提唱者の間では、

こんな問いかけをする人が増えている。

 

バーチャルスペースを牛耳るこれらの新しい大企業は、

実は20世紀のAT&Tや電力などの公益企業に相当する

「自然独占」企業なのではないか?

 

したがって、反トラスト法の対象とするか、公益企業として規制するかしないと、

共有され、ネットワーク化されたグローバル・コモンズとしての

インターネットの大いに有望な未来が台無しになり、それとともに、

ピアトゥピアの協働主義の精神をこれほど重要視してきた世代の

希望も大志も失われるだろう。

 

コモンズの提唱者はこう力説する。

Googleのような検索エンジンが、他の検索エンジンでは見劣りするため、

「必須の手段」化したら、他の選択肢が実質的になくなってしまう。

民間部門の支配的な検索エンジンは、商業上の理由、政治上の理由で、

検索結果を操作する誘惑に駆られるかもしれないと警告する。

 

 (略)

 

商業目的の事業データとアルゴリズムの両方を管理している場合はとくに、

私たちは透明性や客観性を確保するための規約や規制を組み込む

何らかの方法を見つけなくてはならない

それせずに、このプロセスの健全性を守るには

企業の善意があれば十分だろうと期待するのは、

良くて世間知らず、悪くいえば無謀なことだ。

 

 

(略)

 

 

自由市場の支持者も、GoogleFacebookTwitterのような企業を

「社会的公益企業」として認定して自然独占の事例として規制する行為自体が、

じつはそうした企業を潜在的な競争から永遠に守り、独占企業にしてしまうと

警告している。

 

(略)

 

こうした広大な社会的領域を手中に収めている企業が、

何らかの規制による制約を受けずに済むことは、まずありえない。

反トラスト法による措置を受けるか、適切な規制・監督の下に運営される

グローバルな社会的公益事業として扱われるかのいずれかだろう。

どんな監督をどこまでするかは、まだ議論の余地が非常に大きな問題だ。

 

だが、コミュニケーション媒体の商業的な囲い込みという

気がかりな問題に取り組まなくてはならないことに、議論の余地はない。

何しろこの媒体は、その存在そのものが、全人類が協働して社会生活の

あらゆる部門限界費用がゼロで価値を生み出せる、

万人のコモンズを提供することを前提としているからだ。

 

(引用終わり)

 

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 Googleに頼りがちな私にとっては耳が痛い話だ。

ネットワークの中立性とは、

Googleで検索したとき、表示される結果を

Googleが意図的に変えたりしないようにするということか?

Googleや広告主にとって都合がよい情報を検索上位に表示して

都合が悪い情報を検索下位にするとかか?

 

 

あと独占禁止法とかに似ている反トラスト法での規制。

ところが規制によって価格競争がなくなると、リスクを嫌い、

イノベーションをためらいがちになる。

固定価格が規制に盛り込まれていて、収益が保証されているからだ。

 

なかなか難しい。

 

 

paradism.hatenablog.com

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上記の過去記事も開かれたインターネット空間があるからこそ

成り立っていることだ。

無料で与える、便利にする、世界の情報を整理するGoogle

コミュニケーション・コモンズの囲い込みをもし行ったら、

全世界でGoogle離れが加速するかも。

 


Google, evolved

(日本語字幕あり)

 

ユーザーの高い支持を受けてきたGoogleだけに、

インターネット検索を開かれた状態に保つことを願うばかりだ。